アドラー著『嫌われる勇気』は日本人に受け入れられやすい心理学 その2
前回に引き続き『嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え』 について書いていきます。
【前回の記事】
アドラー著『嫌われる勇気』は日本人が受け入れやすい心理学 その1
私が尊敬する人物に落合陽一さんがいます。落合陽一さんは「現代の魔法使い」と言われている方で、テクノロジーで世界を良い方向に導こうとしている方です
そんな落合陽一さんが、「日本人はドグマ(教義)を持っていないから、間違ったルールに従う」と言っていました
無宗教者が多い日本で、ドグマを説くのはなかなか難しいのではないかと思われますが、自分なりの信念を持ち、それを基準に判断するという意味です
日本人は生まれながらに気質の高い人種だと思います
勤勉であり、平和を望みます
ただ、日本の教育の生徒の均質化や夢を持つことをどこか否定する流れが、ドグマを持てずに周囲に流されやすい性質を作り出しているのではないかと
日本の教育を語り、個性を伸ばす方法を取り入れようとすると、日本の教育は一般人に教養を身に付けるためのものであり、ひと握りの天才を作り出すものではない
という結論に至る方が多く見受けられます
私は、一般人と天才を分ける理由がよく分からないので、日本の教育が一般人に教養をつけるためのものだというのは、いまいち納得できません
この理論は、天才の方が優れていて、一般人は天才に劣るという前提があるように思います
私は一般人と天才を比べると天才はマイノリティーである以上、この世を生きていく上で圧倒的に天才が不利だと思います。天才の方が相対的に生きづらい世の中です
一般人と天才という二元論は無意味な論議で、この世はそれぞれの役割を担っています
そして、一般人という大雑把な括りは、これからの世の中では通用しなくなる括りです
誰もが個人として何をしていくかが問われる時代になります
自分のことを凡人だと思っている人は、生き残り戦略を必死に考えないと、今とは逆にどんどんと生き難くなるのではないでしょうか
と、アドラー心理学とは違う内容を書いてしまいましたが、アドラー心理学が日本人に受け入れられやすいポイントを書いていきます
課題の分離を明確に
空気を読むことに長けている日本人は、周囲に気を遣い自己を発揮しない傾向にあります
この本のタイトルにある「嫌われる勇気」を知り、あえて空気を読まない人間になることがこれからの時代には大切になっていきます
「課題の分離」とは、自分の課題と他者の課題を明確に分けるということです
嫌われないように空気を読んで、相手の都合に合わせるのではなく、自分のことを嫌いなのは相手の課題であり、自分の課題ではないとすることです
嫌われた相手に対して、あえて自分の課題をあげるとすれば、自分のどの態度が相手に不快感を与えてしまったかを考えることなのかなと思います
以前、KY(=空気を読まない)という言葉が流行りました
アンチテーゼのようにAKY(=あえて空気を読まない)という言葉が作られ、鈍感力という言葉も生まれました
日本人にとって、「課題の分離」はもの凄く必要な考え方だと思っています
ドグマではないですが、自己主張しあうことを教育レベルから見直すべきです
私は3児の父親ですが、時代の流れを知れば知るほど、正解が一つしかない問題を解かせる教育は、正しくないと考えます
正解がひとつしかないと教えられるから、ひとつの正解と多数の間違いという関係になり、日本人は発言を控える流れになってしまい、人間関係もひとつの正解を求めてしまい、KYという言葉が生まれてしまうのだと思います
人が幸福を感じられるのは?
アドラー心理学では人の幸福は他者への貢献感で決まると言っています
この考え方は、一見すると「課題の分離」とは真逆の考え方に思われますが違います
アドラーが重視している考え方に「何を与えられるかではなく、何を与えられるか」が大切だというものがあります
「課題の分離」で、自分と他人の課題を明確に分け、自分の課題の範囲内において、何を与えられるのかを考えるということです
貢献感を実感するために大切なこと、人間関係において重要なことに「共同体感覚」があります
これは、会社や学校といった区切られた共同体の中の話ではなく、アドラーは宇宙、無生物、過去と未来を全て含めた共同体に対するものだといっています
私は、アドラーの言う「共同体感覚」は日本人は身につけやすいのではないかと思っています
なぜなら、日本は一神教ではなく八百万の神がいて、世界のさまざまな宗教的なイベントを受け入れられる人種だからです
人類みな兄弟を実現できる人種です
個人の感覚では広すぎて捉えられないアドラーの「共同体感覚」を身につけるために必要なこととして、「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」を上げています
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「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」とは?
「自己受容」とはありのままの自分をありのままに受け入れるということです
「自己肯定」は自分を良く捉えることであり、自己受容と自己肯定は違います
アドラーは自己を他人と比べるのではなく、「理想の自分」と比べることとしています
理想の自分に近づくために、どのような努力をしなくてはいけないかを考えるために、今の自分をありのままに受け入れることが大切です
自己肯定を意識しすぎると「自己正当化」に繋がってしまいます
それでは成長はできません
「他者信頼」とは、他者を条件なく信じることです
どんな裏切られ方をしたとしても、裏切ったのは他人の課題です
自分の課題ではない以上、その点に関与する必要はありません。裏切られようと他者を信頼し続けることが大切だと
そうすることで、他者の自分に対する接し方が変わるとしています
「他者貢献」は文字通り、他人のために自分が何をできるかを考えるということです。他者貢献をすることで、幸福感を得ることができます
人は他者に貢献することで幸せになれるのです。
いま、ここを生きる
アドラー心理学にとって、過去のトラウマは存在しません
人生は線ではなく、刹那の点であるとしています。つまり、現在と過去と未来に強力な繋がりはないということです
過去も変えることはできないし、未来を思い通りにすることはできません
人間にとって、大切なのは、「いま、ここ」だけなのです。だからこそ、「いま、ここ」で懸命に生きる
その結果に未来があります
過去をくよくよ悔やむことなく、来ていない未来に期待をする暇があれば、「いま、ここ」で出来ることを必死にやり、他者貢献をしていく
自分が責任を持つのは、「いま、ここ」の刹那のみだから、ど真剣に今の自分を生きていくこと
これが、アドラー心理学の言いたいことなのではないかと考えます
勤勉さや真面目さは、日本の教育により得たものではなく、日本人の気質なので、アドラー心理学の「いま、ここ」を真剣に生きることは、日本人にとって生きやすくなるドグマではないでしょうか
対人関係に悩んでいる人は、ぜひ『嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え』を読んで、自分の悩みを吹き飛ばしてください
お供にしたいBGM
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他人との軋轢を歌い、純粋さを歌い続けている。甲本ヒロトさんの名曲「人にやさしく」です。
この歌の内容はまさに貢献感ではないでしょうか。