読書タイムイズマネー

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宇野常寛著「ゼロ年代の想像力」を読んで動画コンテンツの見方が変わる

宇野常寛著「ゼロ年代の想像力」を読みました

 

 

この方の動画の見方を目の当たりにして、反省することが多々ありました

 

動画作品には時代背景が含まれていること

 

これまで考えてこなかったことは動画制作を生業としている者として、あまりにも制作という技術や作業的なものに囚われすぎていたなと思いました

 

 

ヒットする作品は時代が求めているものである

 

よくよく考えてみれば当たり前の話ですが、その当たり前を見逃していたなと

 

この本は、ゼロ年代-つまり2000年前後で、動画コンテンツ(主にアニメとドラマ)に描かれている内容がどのように変化し、何を表現し、何を克服しようとしていたのかが書かれています

 

2000年前後にとって、重要な年が95年です

 

95年の大ヒット作新世紀エヴァンゲリオン」

 

私は年代的にエヴァ世代ですが、エヴァが好きではありません

 

なぜ嫌いかというと主人公のウジウジしたところと、主役の父親である碇ゲンドウが理不尽すぎるからです

 

ただし、そんな理由で嫌いだというと、あまりにも短絡的だと思ったので、エヴァはかなり見ました

 

ストーリーの背景や物語を見尽くした上で、嫌いだと論理的に判断できるなら、このストーリーが嫌いだと判断できるからです

 

そして、さんざん見尽くした結果、やはりエヴァは嫌いです

 

私がエヴァを嫌いな理由を宇野常寛さんは見事に説明してくれていました

 

この本の内容を説明するのはかなり大変なので、本を読んでの主観的な感想を述べていきます

エヴァは社会が生きる価値を与えてくれなくなった時代に、キャラクター(自己)に対する承認欲求を描いた内容であり、主役の碇シンジは承認されなかったので引きこもったと

 

80年代までの日本は、家父長制であり、子供の将来は受け入れるにしろ反発するにしろ、父親の影響が大きかったのですが、90年代に入り、父親の力が衰え、社会が衰え、子供に対して人生のレールらしきものを見せることができなくなりました


その中で、碇シンジのような何も提示してくれない=物語のない世界で、承認されないのなら引きこもるという選択をします

 

ここに私は大きな違和感を覚えていたのだと思います

 

どんな状況でも自分で決断しろよ、碇シンジよと

 

そして、碇ゲンドウ、息子を見ないで愛する妻ばっかり見てんじゃねーよ

 

という怒りです

 

そして、エヴァのような厭世的な世界観が大ヒットする日本が好きではありませんでした

 

たぶん、社会に対して言いようのない怒りと漠然とした不安があったんだと思います

 

でも、たぶんこんな世界は大きな波もなくある意味で豊かさであり、幸せなんだと思います

 

この幸せがモノが溢れていて、食うに困らないという意味の幸せです

 

豊かであることに甘んじるくらいなら貧乏でもいいから、生きる実感があったほうがいい

 

という反発が思春期の私にはありました


ただ、典型的なダメな大学生になり、豊かで平和な世界を楽しんでいる内に、自分自身の世界に対する怒りのようなものはなくなり

 

今が楽しければそれでいいや

 

という考えに変わっていきました


思考停止に享楽的だったんですよね

 

東京に来てしがらみもなくて

 

私は、エヴァ的な世界、「物語を与えられないならしない」という悩みを忘れました

 

現実が楽しかったので、そして、自分は宇野常寛さんが言う、ゼロ年代の決断主義=バトルロワイヤル的な世界に無関心でした

 

「エヴァ」から「DEATH NOTE」へ

 

 

決断主義の代表作である「DEATH NOTE」が大ヒットした時に、ジャンプでリアルタイムで読んでいましたが、それほど面白いと思わなかったんですよね

 

大きな原因は、将来やりたいことができたからだと思います

 

今でも生業にしている映像制作の道に進みたいと思ったのが、ちょうど2000年でした。

それまでは、将来は見ないようにしていました

 

やりたいこともないですし、不安になるだけなので

 

という意味で、エヴァ的な世界観を心に秘めながら生活していたんだと思います

 

そして、バトルロワイヤル的な、行動しなければやられるという時代になり、年功序列がなくなり、平成大不況で将来が見えない中、やりたいことがある自分というものに夢中でした

 

世界とか正直どうでも良かったんだと思います

 

 だからなのか、この後、宇野常寛さんが本の中で紹介しているドラマ「木更津キャッツアイ」も「野ブタ。をプロデュース」も見ていません


決断主義からの克服を描いたというドラマたちに関心がなかったんだと思います

 

バトルロワイヤル的な世界よりも、目の前の現実にいっぱいいっぱいでした

 

自分の外にある世界に関心を寄せていられる時間がなかったんだとも言えます

 

この本が発売されたのが2008年なので、10年前に発表された本です

 

10年後の世界から見ると、この本に書かれている内容はたしかにそうだなと思えることが多くあります


エヴァ的な世界→DEATHNOTEに移行し、2008年代の目標だった決断主義的な世界はどうなったのかを、私なりに考察してみたいと思います

おそらく、決断主義を克服できていないというのが前提なのかなと

 

ただし、未来は決断主義を克服しうる可能性が出てきたという世界に移行しているんだと思います

 

宇野常寛さんのように、動画コンテンツから時代を読み解けませんが、「逃げ恥」の大ヒットとドラマがヒットしなくなったことですかね

 

個人主義への偏り

 

今の世の中は、以前よりも個人主義に偏っているのだと思います

 

「逃げ恥」の主人公とヒロインはエヴァ的です

 

どちらも、コミュニケーションに問題があり、世の中を上手く生きられません

 

そんな2人の日常が描かれています

 

コミュニケーションが大事だと言いながら、コミュニケーションができない2人

 

周りの大人たちもコミュニケーションができそうで、誰も出来ていない世界です

 

そんな世界でありながら、誰もがそれなりに幸せを見つけています

 

社会や世界は物語を示してくれないことに、絶望も希望もなく、決断主義的に決めていかないと生き残れないわけでもない

 

個々人に幸せは違うのだから、その幸せを享受しようよという世界です

社会という大きなマスの影響力が個々人の生活にまで影響が出にくくなり、自分の好きなものは当然、自分で見つけるもの

 

という世界でありながら、具体的な幸せなんてなくてもいいかも

 

とも思えてしまう世界が今なのかなと

 

グローバルスタンダードで加速する世界

 

ただし、グローバルスタンダードになっている世界では、のんびりしていると食われます

 

決断主義的な世界はある意味で加速しています

 

その世界に日本は取り残されつつあります

 

現代を継続させようとするなら、日本は確実に負のスパイラルに陥ります

 

日本は日本をアップデートするしかない状況に追い込まれているのにも関わらず、みんなお金がないといいながら幸せなんです

この矛盾により、危機感がありセルフプロデュースを意識的にしている人とそうではない人(近代的に盲目な人)の差が広まっていることだけは確かです

今後、テクノロジーが世界をアップデートする日は近いと思います

 

そんな中で、スタートダッシュに大きく出遅れた人たちは、小さな幸せをより大きくしていくのかなと思います

 

多分それで幸せな人たちが多くいるんだと思います

 

つまり、自分の世界を広げる人とと自分の世界が変わらないと思考停止する人

 

でも、世の中は豊かになるので、時間だけが膨大に余る世界

 

その世界がユートピアなのか、決断主義に破れた世界なのか

 

個人が決める時代なんですかね。。。

 

 

【関連動画】
宇野常寛著「母性のディストピア」-人を世界を愛する批評家