読書タイムイズマネー

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落合陽一著「デジタルネイチャー」タチコマにゴーストは宿ったのか?

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落合陽一著 「デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂」を読みました

 

 

自分がどこまで内容を把握できたのか、自分でも分からない状況である以上、読み終えたと言っていいのか分からないですね

 

ハッキリと分かったというわけではなく、何となく理解できたような気がするというレベルなので、内容について詳しい説明はできないです

 

この本を読んでいる間、思っていたことはテクノロジーの進化に果たして人類の進化が追い付いていない状況である。ということです

 

だからこそ、落合陽一さんは「脱近代化」を「デジタルネイチャー」とワンセットで書かれたのではないかと思います

 

デジタルネイチャーをざっくりと説明すれば、人や自然といった「物質」とコンピューテーショナルによって再現された「実質」の境界線がなくなり、融合した状態になる。この状態になれば、物質と実質の差がなくなり自然に存在するようになる。ということだと思います。

 

……この説明も分かりにくいですが……

 

落合陽一氏が自ら筆を執った「デジタルネイチャー」で丸々一冊「デジタルネイチャー」について書かれていますし、前作の「魔法の世紀」にも書かれていますので、自分なりにデジタルネイチャーを理解するのがいいと思います

 

脱近代という思想

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このところのテクノロジーの急速な進歩により、人間中心の世界からテクノロジー中心の世界に変わるとこの本では書かれています

 

資本主義とか民主主義といった「主義」は人間が提言している以上、時代に合わなくなっていくことは十分に考えられますし、現代がまさに資本民主主義から脱却する緩やかな過渡期になっています

 

AIやテクノロジーの進歩により、これまでの世界は全体最適がベースでしたが、これからの世界は個別最適が実現可能になる。個別で最適化されていくということは、全体的な均一化する必要がなくなります

 

カドカワ社長の川上量生さんも平成最後の夏期講習で、教育のアップデートの答えは出ていて、AIによる個別学習だと言っていました

 

時代の先駆者が時代の先駆者たる理由の一つに、現代という世界に対する解像度が高いことが上げられます

 

解像度が高いということは、解像度が低い状態よりもくっきり見えているということです

 

一般の人たちからすれば、落合陽一さんが言っている「近代」は「現代」です

 

脱近代化というとアップデートされる先は「現代」ということになりますが、感覚的に「幻想の現代」からの脱却により未来へアップデートではないかと

 

約200年前に起こった産業革命・ルソー・フランス人権宣言などが「近代化」のベースになっており、現在社会のベースでもあります

 

コンピューターがユビキタス(一般化)されたのが約20年前で、スマホが販売されたのが10年前です

 

これはまたインターネットがどれだけ身近な存在になったかということでもあります

 

コンピューターのユビキタスの前に起こった革命的なテクノロジーはおそらくテレビではないかと思います

 

テレビが普及したのが、約60年前だと考えると、テクノロジーの進歩が加速度的に上がっていることが分かります

 

AIやVRやAR、デバイススマホからグラスへと変化していく時代はさらに速まっていく可能性があります

 

脱近代化とは「人間中心世界からテクノロジー中心世界」への移行でもあります

 

超人的な思想ではなく、テクノロジーによる最適化がこれからの時代になるようです

 

デジタルネイチャーを生きるために

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デジタルネイチャーが自然である以上、自然のシステムを享受していることに無意識的なことを考えれば、デジタルネイチャーもすんなりと享受された生活を受け入れるんだろうなと思います

 

……ただ、ここにもの凄くワチャワチャした感情があるんですよね。

 

デジタルネイチャーの世界は、人類がより平和に暮らせる世界だと思います

 

個に最適化されるということは、多様性が受け入れられる世界であるし、「AI+BI」的な生き方(AIの管理の元で働き、ベーシックインカムをもらって暮らすこと)を理想としている人たちも多数いることは確かです

 

AIに職を奪われるといった不安も安定した職業を希望するのも、安定した生活を望んでいるからです

 

このところ、池田晶子さんの哲学に関する本を読んでいるからなのかもしれませんが、考えるということをしなくなる世界になってしまうことはないのかなと

 

働かなくてはいけない危機感から脱却し、好きなことだけして生きていく世界

 

もちろん、大変なことや何らかの苦労は体験するでしょうが、枠組みが安定するほどに人の成長も鈍化していくような気がします

 

安部公房氏の「死に急ぐ鯨たち」の中で、

積載量過剰のトラックのような時代をくぐりぬけて、作者は失望し、かつ謙虚になった。死の舞踏でも、下手に踊るよりも上手に踊ったほうがせめてもの慰めである
夢の中で幻の越境者が夢を見る 

 

これを書きながら、感情がワチャワチャしていた原因が、分かったかもしれません

 

人が人と成長に、デジタルネイチャーが足かせになるのではないかという疑問

 

足かせになるのは、教育が現状の教育のままでアップデートされずに、国家があいかわらず均一化を目指しているという前提の話なんだなと

 

落合陽一さんと小泉進次郎さんが主宰した平成最後の夏期講習の中で、ドワンゴの創設者「川上量生」さんが、教育の最終目標地点は決まっている、AIによる個別学習だと言っていました

 

これが答えなんだろうなと

 

時代の変化によって、脱近代化によって、教育も当然アップデートされるのかと

 

……それでも、スッキリしないのは、攻殻機動隊の中で草薙少佐がたびたび口にする「ゴースト」の問題に近いものが残っているからなのかもしれません

 

デジタルネイチャーの本に書かれていた世界に、世界は近づいていくんだろうと思います

 

その中で、教育も最適化され、中央集権的な現状も多様化され、ダイバーシティーとして世界も生き方もより多様化されるような時代

 

その中で、「ゴースト」つまり魂の成長という問題をどう扱っていくのでしょうか

 

人はより善く成長するための存在

 

それはまだ、人が物体として認識していないもの

 

人間が具体的に認識できないけれど、確かに持っているもの

 

タチコマはゴーストを獲得し得たのか

 

AIは果たして?

 

デジタルネイチャーの世界で、ゴーストに関する教育もAIにより個別に最適化できるのか?

 

出来ないとしたら、人はソクラテスの時代からアップデートされえない存在なのか?

 

おばあちゃんの知恵袋的な、知恵の余白を残しておくことで、もしかしたらAIにゴーストが宿る日がくるのかもしれません

 

うーん、フワッとした書評だな

 

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