読書タイムイズマネー

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最果タヒ著「ことばの恐竜」を読んで

最果タヒ著「ことばの恐竜」を読みました

 

この本を読むきっかけは、図書館で大森靖子さんの「超歌手」を予約した時に、一覧リストに出ていたからです

 

最果タヒさんは名前は存じていたのですが、ブログとツイッターを見た程度で、作品を読んだことはありませんでした

 

読み終えての感想は、感性の化け物だなです

 

このところ実用書や哲学書ばかりを読んでいたので、久しぶりに感性で言葉と向き合っている方の感覚に触れ、嫉妬に近い憧れを抱きました

 

「ことばの恐竜」は最果タヒさんが尊敬や好意を抱いている方との対談本です

 

対談相手は、松本隆さん、谷川俊太郎さん、大森靖子さんetcとかなり豪華なメンバーで、主に言葉について話しています

 

 

ことばとは何か?

 

このところ池田晶子さんの本をよく読んでいて、著書の中でよく使われている表現に「正しい言葉」というものがあります

 

ことばとは不思議なもので、日本人の両親に育てられれば、自然と日本語を覚えていきます

 

子供たちと生活していると、言葉を覚える前と言葉を覚えた後では、表現や表情といったものに格段の差が生まれます

 

同じ日本語でも時代によって使われている言葉が変わります

 

ことばは生まれた時から当たり前にあるものですが、ことば自体は人間が作ったもので、ことばが生まれる前は、おそらく犬や猫のように、感情と発する音がイコールだったのだと思います

 

ことばが生まれ、ことばでコミュニケーションを取れるようになってから、様々な概念が生まれてきたんだろうなと

 

嘘や事実といった概念も、本音と建前といった概念も、ことば無くしては存在していません

 

ことばによってコミュニケーションが取れるようになったことで、相手の細かな状況や感情は伝えられるようになりましたが、その分、ことばで分けられるようになったことで、負の状況(たとえば差別)といったものも生まれ出てしまった

 

漫画家の石黒正数との対談の中で、最果タヒさんのことを「パンドラの箱」と表現されていましたが、人類にとってことばこそが「パンドラの箱」ではないかと思います

 

もしこの世の中から「ことば」そのものが無くなったとしたら

 

元々ことばを使っていなかった人類が、ことばというツールを使うようになった

 

ことばは人類が生み出したツールである以上、人類の叡智を超えられるものではないと思います

 

もし、人類が更なる進化を遂げた世界では、現代のことばで表現しきれない感覚や何かを感じられるようになった時は、我々が使用していることばは無くなるんだろうなと

 

ことばを駆使する人類よりも、イルカやクジラの方がはるかに優れたコミュニケーションをとっていることだって十分に考えられます

 

ことばは人類が表現しうるものを、表現できるツールです

 

ことばで表現できるものは、この世に在るということです

 

UFOや霊ということばも存在している以上、やはりこの世に在るんだろうなと

 

哲学的な表現で言えば、在るものは在り、無いものは無い

 

表現できるものがあるから、ことばが生まれたのか、ことばが生まれたから、表現しうるものが顕在化したのか……

 

どちらが先かは分りませんが、善いものも悪いものもことばにすることで顕在化されてしまう可能性があるというのは、忘れてはいけないことではないでしょうか

 

ことばによって運ばれていくものは

 

日本語、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語……ことばの種類は様々あります

 

日本語しか話さなければ英語しか話せない人と、ことばでコミュニケーションを取るのは非常に難しいです

 

ただ、日本語は英語に訳せ、英語も日本語に訳せるということは、ことばの種類は違っても、表現しうるものは同じだということです

 

この世に生きている同じ人類である以上、進化の過程はそこまでの差はありません

 

表現としてのことばは違っても、ことばに乗って運ばれていくものは変わらないということです

 

ことばに乗って運ばれるものは、感情であり意思であり想いです

 

おはよう

 

ということばは、文字にすれば誰にとっても変わらない4文字ですが、発する人によって、様々に異なります

 

気分が落ち込んだ時、良いことがあった時、好きな相手に対して、嫌いな相手に対して、同じことばでもシチュエーションが変われば、運ばれていくものも変わります

 

揺ぎない信念を持っていたり、溢れんばかりの自信を持っている人のことばに惹かれるのは、その人が発することばに乗って運ばれているものによります

 

ある意味でとても純粋なことばなのです

 

「ことばの恐竜」に記されていることばを読むと、意図的なものというよりも、その時に思ったことをそのままことばにしているような感覚になります

 

この本に載っている誰もがことばや表現に、真正面から向かい合っているからこその純粋さなんだと思います

 

ことばはことばだけを抽出すれば、ツールであり誰もが共通に使えるものです

 

ただし、使う側の人間によって、ことばそのものの持つ意味は変わってきます

 

ことばに乗って運ばれていくものに自覚的になれば、ことばに対しても自覚的になれる

 

人類はまだことばを必要としている状況です

 

ことばを使うことで、様々なことを生み出しています

 

この世界はことばが溢れている世界です

 

それはつまり、ことばに乗って運ばれている、感情や思考や想いが溢れかえっているということです

 

負の感情や、負の想いばかり発していれば、この世界(自分の世界、内なる世界)は、負のもので溢れかえってしまいます

 

ことばは人類が生み出したものである以上、もっと自覚的になった方がいいのではないかと思います

 

酷くて醜いことばを、本人がいないところで発したとしても、それをこの世に発した以上、そのことばに乗って運ばれているものは、この世に現実として顕在化されてしまうのだから

 

パンドラの箱にはあらゆる災厄が入っていましたが、災厄と同時に希望も手にしました

 

ことばというパンドラの箱にも希望は入っているはずです

 

希望をことばに乗せて運んでいくことができれば、この世界(自分の世界、内なる世界)はもっと輝くのかもしれませんね

 

ただ、最果タヒさんは、自分が伝えたいものはなく、ことばは人から借りてくるというイメージなのだそうです

 

最果タヒさんが表現しているものは、もしかしたら意図や狙いといったものはもちろん、個人的な感情や思考や想いというものも存在しない、純度100%に近いことばそのものなのかもしれません

 

最果タヒさんに、生まれ出てくることばを運んでくる何ものかの想いは、ことばという表現そのものを超えているのだとしたら、最果タヒさんそのものがやはり「パンドラの箱」なのかもしれませんね

 

パンドラの箱自体だけがあっても、何も起こりません

 

パンドラの箱は開けたモノによって、何が起こるのかが決まるのです

 

 

本は目で見る時代から、耳で聞く時代へ

 

ことばを目で見るよりも、耳で聞くほうがよりことばによって運ばれてくるものが伝わるのかもしれません

 

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