新卒で会社を辞めることは重要な項目ではないのでは?
Twitterで新入社員がすぐに会社を辞めたことが是か非かという議論が起こっていました
自分に合わなそうだから、入社前に辞めたや入社したその日に辞めたといったことをツイートしていて、その行動を応援する人とその行動に反発する人がいます
この議論を見ながら、自分はどっちなんだろうかと考えましたが、そもそもこれって話題になるような議論なんだろうかと疑問に思いました
正直、どっちでもよくない?
社員側からすれば、求人募集だってタダじゃないし、求人をしたということは新社員を入れたい理由がある訳です
事業拡大のためなのか、辞職者の補填なのかは分かりません
人手が足りなくててんやわんやしている人からすれば、せっかく内定者を出せたのにいい迷惑ですね
新入社員からすれば、明らかにブラック企業の匂いがしたり、社風が古すぎて自分に合わない
入ったとしても長く続かないことが分かっているから先に辞めると
確かに教えるという時間は多大なコストがかかるので、入社して3ヶ月で辞めるよりも入社直後に辞めた方が、会社としてロストが少ないですし、人手が増えたことで逆に大変になることもあります
どちらの立場にも言い分があり、どちらか一方が正しいわけではありません
だからこそ、どっちでもよくない?
ただ、この話はもっと根深いものが関与していますし、どちらの側にも正しい部分がある以上、どちらの側にも正しくない部分、思考停止な部分があるのだと思います
たぶん、この話題に是と非の意見の間には、あまりにも共通言語が少なすぎるのではないかと
そもそも働くって何?
ソクラテスは「皆は食べるために生きているが、私は生きるために食べている」と言い、死刑になりました
「生きる」を「働く」に変えると、今回の問題点があらわになります
「皆は食べるために働いているが、私は働くために食べている」
人間の歴史で、労働というものは=生きるための時代がありました
過去形で書いたのは、現代は働く=食料を確保するためといったような、働かなくては生きていけないという時代ではなくなっています
自分が労働としているものが無くなったら、命に関わるような状況に陥るという労働をしている人はどれくらいいるのでしょうか?
私は映像制作を仕事としているので、自分の仕事がこの世から無くなっても世の中の人は誰も困りません
確かに食べるために働いていますが、働くために食べるほど、この世のための立派な仕事なんてほとんどありません
政治家だろうが、銀行員だろうが、商社だろうがなんだろうが、この世から無くなったら困るものなんてほとんどないんですよ
では、なぜこれほどまでに多様な職業がこの世に存在しているかというと、人類が便利になりたいと願っているからです
人類が便利になりたいと思っているから、様々なサービスが生まれ、様々な商品が生まれた訳です
インターネットの技術は元々は軍事用に開発されたものですが、一般でも使用できるようにしたのは、利益が生まれることと便利だからです
現在の労働は利便性を求めるものが大半を占めていて、だからこそ働くことそのものよりも、なぜ働くのかに重きが置かれている時代なんだと思います
自分を含め、多くの方は学生を卒業したから社会に出て働くという流れに沿っています
小学校や中学校に通うのが子供の義務のように、学生時代を卒業したら働くことが義務であるように思えます
働くことは社会という定義の中で生きている上では、人としての義務なのかもしれません
ただし、一般企業に就職することは義務ではありませんし、個人として働くことも義務ではありません
それは、ただの選択にすぎません
大切なのは、何のために働くのか?という明確さです
もし働くことが世界平和のためだったら立派な大義ですが……始めは何でもいいのではないでしょうか?
お金のためならお金のためでいいのだと思います
自由のためなら自由のためでいいのだと思います
ただ、一般企業に就職しようが自力で働いこうが、どちらもお金のためだった場合、両者の間にどのような差があるのか?
働くという定義がないなら、新卒で辞めようが続けようが大差はないです
ワークアズライフとは何か?
ワークアズライフは落合陽一さんが定義したもので、仕事と生活を区切らない生き方の事です
【参考記事】
落合陽一著「日本再興戦略」-天才が掲げる日本の未来に期待を持つための再興戦略
落合陽一さんや前田裕二さんのような、仕事に命をかける覚悟のある方は、ワークアズライフを実践できますし、イノベーターの多くはワークアズライフな生活をしていると思います
ただ、大多数の方たちはそこまで仕事に命をかけられない。かけるほどの大義がありません
自分も大多数の1人です
ワークアズライフだけが生き方ではありませんが、少なくとも彼らのような生き方に新卒で辞める辞めないは議論の対象にならないのではないでしょうか
働くことに大義を見い出せない人たちが先にやるべきことは、そもそも働くとは何かを考えることです
哲学者の池田晶子さんは、自分は考えることが仕事としているので、生活と仕事の区別がないと言っていました
【参考資料】
池田晶子著「無敵のソクラテス」で考える日々
池田晶子さんの生き方は、「私が私である」といった当たり前のことに驚いた時に、考えざるを得ない
だから、私は考えていると
テクノロジーの進化により、これまでのどの時代よりも個人で出来ることが多くなりました
そのためか、思想や意思というものよりも先に、方法論が先行している時代になっています
ネットを開けば、情報が簡単に手に入る時代なので、解決方法は探せば出てくると思えてしまう時代です
確かに、多くの事項において、ググれば解決策が出てきます
ただし、これは方法論であって、「働くとはそもそも何か?」「人生とは何か?」「私とは一体何か?」といった根本的な解答は得られません
本質的な問いは、自分で考えて答えを出すしかありません
再度、そもそも働くって何?
世の中は確かに便利になり、働き方も多様になっています
企業で働かなくても、個人のブログで月商何百万という方もいる時代です
先にも書きましたが、世の中にある労働で命に関係する仕事はほとんどありません
だからこそ、今一度、立ち止まって考える時間を持った方が良いのではないでしょうか?
「なぜ人は働くのか?」
「働くとはどういうことか?」
そうこう考えている内に、もしかしたら働くこと自体に意味はないという結論に達するのかもしれません
「働くとは有意義な時間を過ごすため」
という結論に達したなら、好きなことを仕事にすることに全力を注げばいいです
「働くとは家族のため」
という結論に達したなら、家族のために働くとはどういうことかを更に考えればいいです
お金を稼ぐことが労働であるわけではありません
それは行動に対しての結果に過ぎませんし、行動に対して得られたのはお金だけとは限りません
人生でもっとも多くの時間を費やすのは働いている時間です
人生の大半を過ごす時間について、分かったつもりになっている人が多くいます
働くとは何か?
お金とは何か?
人生とは何か?
実は真剣に考えていない人生において重要な事柄が多くあるはずです
「働くとはどういうことなのか?」
という問いに対して、皆さんはどのような答えを出すのでしょうか?