西野亮廣・堀江貴文著「バカとつき合うな」を読んで
西野亮廣・堀江貴文著「バカとつき合うな」を読みました
タイトルの通りに付き合うべきではないバカが書かれていると思って読み進めていくと、著者の戦略通りにハメられてしまいます
悔しい気持ちなどなくむしろ爽快感がありますね
第1章・第2章ではこのお2人らしい、常識に縛られた人たち=バカと自分を正しいと思っている人たち=バカに対するアンチテーゼが書かれています
常識を無思考で信じている人
自分の現状を否定されたくないあまり思考停止に陥っている人
自分の頭でしっかりと考えること行動することの大切さが書かれています
その中で、特に印象に残った言葉を紹介していきます
過去~現在~未来という時間の流れからの脱却
堀江貴文氏は「今を生きろ」というメッセージを多くのメディアで発信しています
この言葉は難しい言葉ではないので何となく分かった気になってしまうのですが
「過去~現在~未来」という時間の流れは近代が作った概念で、この時間の流れを意識ているということは真の意味で今を生きていない
多くの人は未来からの逆算で今を生きている
そうではないと堀江貴文氏は言っています
子供のように今を生きるというのは、未来を意識しているわけではなく、本当にいま目の前にあることに夢中になっている
今この瞬間ワクワクできるものやりたいことをやる
失敗したらどうしようという考えも、結局は未来を考えてしまっているということですし、失敗も経験値になるからとにかく行動することというのが、彼らのマインドです
結果を考えるのは少し先の未来を見ているから
そこを見ないで、今この瞬間にできることをしていく
行動力がある人は、どこかゴールへの道筋が見えているように思ってしまいますが、そうではなく未来を見ていないから行動力があるんですね
新しさを求めずに王道を
西野さんの同じことをやり続けていると本人が飽きてしまって、新しいことをやろうとする
そうしてしまうと、ユーザーが求めているニーズとはズレてしまい、良くないものになってしまう
自分もクリエイティブな仕事をしているので、飽きてしまったから新しいことをやろうとする気持ちよく分かります
本人がやっていて飽きてしまったら、良いものなんて出来ないんじゃないか
新しいことをしていかないとすぐに飽きられるんじゃないかという気持ち
でも、思えば時代劇は毎回同じ展開でも、長寿番組が多くあります
ユーザーは王道が見たかったりするものなんですよね
凄くいいものは何度見てもいい
新しいことをするよりも、王道を研ぎ澄ましていく方がニーズに応えらえるものなんですね
僕は凡人
堀江貴文氏が凡人だというのは、どこか信じられない気持ちもありますが、イチロー選手が野球一筋でとことんまで極めていく姿こそが天才の姿
自分はイチロー選手のようにはなれない
という文章を読んで納得できました
自分を凡人だと思えているからこそできるやり方があり、世の中は凡人の方が圧倒的に多いのだから、自分たちと同じやり方をしていけば、みんなにも出来るということです
一時期「自分探し」という言葉が流行り、今もSNSには「自分探し」と「個性を出そう」という人たちで溢れています
自分というものは最初から存在しているのだから、わざわざ自分探しをする必要はないし、自分探しで見つけたものが、本来の自分のやりたいことを邪魔する可能性もあると書かれています
特別な何かになりたいという願望は、どこかに持っていると思います
何ものでもない自分は本当の自分ではないと
でも、何ものでもない自分も自分なんですよね
その自分を深めていくことで案外、本当の自分に出会えたりするんです
人間に生まれた以上、自由意志は持っているわけで、個人である以上、すでに個性は存在しています
イノベーターの方たちの話を聞いていると、自分自身の事をしっかりと分かっている人たちが多いように感じます
自分を生きるということは、まず自分を知らなくてはいけません
自分が何者かを見つめていない限りは、自分を生きることなどできません
「思考して行動する」ためにも、自分をしっかりと見据えるという作業がたいせつなのかもしれません
彼らのように生きる意図を持つために
「バカとつき合うな」を読んで、自分がいいバカになるためにはどうしたらいいのかを知りましょう
この世には、いいバカと悪いバカがいるのです
どうせならいいバカになって踊りましょう!