大森靖子著「超歌手」ー傷だらけの魂をむき出しにして生きるー
大森靖子著「超歌手」を読みました
この本を読んで元々あった大森靖子さんのイメージが大きく変わることはありませんでしたが、この方は本当に魂をむき出しで生きているんだなと、改めて実感できました
大森さんは言葉に対する解像度がもの凄く高い方ですね
ここまで自分の感覚や感情を言語化できているのは、自分というものを自分自身で理解できていないと出来ません
本を読んでいて、自己肯定感が低すぎるなぁと感じるところはあるのですが、そこも自分自身で理解して受け入れている
この生き方は自分は出来ません
大森靖子さんのイメージは血だらけに傷つきながらも気高く立っているというものです
ここまで自己をハッキリとさせ、受け入れられないものは受け入れないという生き方は、めちゃくちゃキツイと思います
ただ、傷ついた分だけ美しいです
自分にとって大切なものは絶対に傷つけさせない生き方
子供のためには自分の命すらも投げ出す獣のような方ですね
この本を読んでいて、魂のむき出しさ加減というか正直さ加減に思わず笑ってしまいました
バカにした笑いではなく、スゴイものを見せつけられて思わず笑みがこぼれる
そんな笑いです
自分が大森さんと同等の言葉の解像度を持っているとは思いません
なので、この本を読んで大森さんの考えを理解したとは思えません
自分は音楽が好きですが、人生を音楽に救われたという類の人間ではありません
大森さんのライブを見たことがあり、純粋に美しいなと思いました
ただ、それは自分にとっては救いではありません
ライブとしては圧倒的でしたし、濃厚な時間ではありました
大森さんに人生を救われている方は多くいると思います
それだけのパワーと生き方をしている方です
そのパワーが強すぎてアンチも沢山いるんだろうなと
大森さんに対してアンチになる理由も分からなくはないです
言葉に対して解像度が高いということは、言葉に対して正確であるということです
言葉はとても便利なツールですが、解像度の違いにより捉え方が異なります
同じ単語を使っていたとしても、その単語に対してどのような理解をするかは千差万別です
大森さんの言葉にぶち当たった時に、普段どこまで言葉を理解しようとしているかが問われます
言霊という言葉があります
言葉には魂が宿るという意味です
この意味は、言葉そのものが持つ力とその言葉を使った人が持つ力(想い)という2つの力(魂)が宿るという意味ではないかと
言葉に対する解像度が高いということは、自身の魂に対する解像度が高いという意味です
大森靖子さんは誰かの人生を生きておらず、自分の人生を生きています
ハッキリと自覚しながら自分の人生を生きています
常識でも誰かの言葉でもなく、自分の内側から発せられる言葉を使っています
大森さんに対して何らかの意見を言う場合、〇〇主義の立ち位置から言っても無意味です
自己をむき出しにして、誰の主義でもなく、一個人として対面しなければ意味がありません
〇〇主義を捨てて、一個人として大森さんと向き合った時、果たしてアンチはアンチのままでいられるのか……
自分は一個人である、純度100%の自分であると言い切れるくらいまで、自分を掘り下げてみないと、大森靖子という人については語れないのではないでしょうか
なので、自分はこれ以上語る資格を持っていないですね
自分もまだまだ成長せねばです