落合陽一著「魔法の世紀」を読んで、ようやくデジタルネイチャーが何かを知る
落合陽一著「魔法の世紀」を読みました
これまで落合陽一さんが書かれた本は「魔法の世紀」を含めて、4冊読みました
「日本再興戦略」「10年後の仕事図鑑」「デジタルネイチャー」
上記の3冊を読んだからこそ、「魔法の世紀」に書かれている内容が多少理解できたというのはあるかもしれませんが、最初に読むなら「魔法の世紀」からですね
【デジタルネイチャーの詳細記事】
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【10年後の仕事図鑑の詳細記事】
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【日本再興戦略の詳細記事】
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「魔法の世紀」は、コンピューティングの歴史、メディアアートの歴史からこれから世界がどう変わっていくかが書かれた本です
20世紀を「映像の世紀」と位置づけ、これからの世界を「魔法の世紀」と定義しています
エジソンとリュミエール兄弟が映像を発明し、マスに向けて発信され、皆で共有してきたのが20世紀=「映像の世紀」です
テレビも映画も「静」のメディアで、ある特定の場所に行かないと見られないものでした
このメディアを劇的に変えたのがスマホです
ほとんどの動画メディアはスマホがあればどこでも観られる時代になりました
スマホは持ち運べるメディアという顔もあります
ここまでだと、デバイスが変わっただけで、これまでの「映像の世紀」と変わりがないように思えます
「映像の世紀」は「人間中心主義の時代」だと書かれています
人間の可視化できたり耳で聴くことができる範囲で、劣化版を大量生産してきた時代だそうです
CDがアナログよりも音質が悪く聞こえるのは、CDにコピーした段階で、人間が聞こえない範囲の音をカットしたデータ量を落とした状態だからだそうです
CDのデータ量をグッと上げて解像度を高めれば、CDもアナログと変わらない聞き心地になると落合陽一さんは言っています
映像においても同じで、1秒を24コマ~60コマで表現するのは、そのコマ数内だったら自然に画が動いているように見えるからなんだそうです
映像を見るのも音楽を聴くのも人間です
人間が違和感なく見たり聞いたりできるなら、それで十分だというは大量生産で売り上げを上げるためだと言われたら納得です
また、そもそも人間に合わせたメディアだということを、これまで考えてもみませんでした
自然界は、人間が感知できないものが多くあります
光は人間が可視化できる範囲外にも存在しています
20世紀は大量生産ができる人間中心主義で行ってきた「映像の世紀」
では、これからの時代「魔法の世紀」とはどういう時代なのでしょうか
コンピューティングの発達により、人間が感知できないところから何かを作り出すことが可能になりました
下記の動画は、落合陽一さんの作品で、プラズマの光を手で触れるというものです
Fairy Lights in Femtoseconds: Tangible Holographic Plasma (SIGGRAPH)
この作品は説明されればそういうものかと何となく思えますが、実際には何が行われているのかよく分からないものです
ただ、プラズマの光で空間に何かが表現されて、それを触ることができるという現実があります
人間中心主義の枠を壊して、人間が感知できるかどうかを超えた表現は、コンピューター制御されていることすら意識しない、自然な存在として、ここに存在している状態になるそうです
これが「デジタルネイチャー」なんだと思います
感覚があまりにも自分のレベルを突き抜けすぎていて、おそらくとしか言えないのが心苦しいですが…
自然は人間の配下にあるものなのか、それとも人間の枠を超えた大いなる存在なのか
これは思想によっても異なる感覚です
東洋は自然を幽玄なものとし、人間の枠の外にあるとしています
テクノロジーの進化により、人工物であるはずだったものが、人間の枠を超えた存在になり、もはや自然の状態になってしまう
目の前にある状況、サービスだったりを使うことは出来るが、どのようにして生み出されたものなのか分からないほど自然な状況
コンピューターと人間の関係性がある意味で逆転した状況
「魔法の世紀」はテクノロジーが自然の境地に至り、人間側からは違和感なくそこに在る状態
そんな世界が間もなくやって来るのかと思うと、ワクワクしてきませんか?