北野唯我著「天才を殺す凡人 職場の人間関係に悩む、すべての人へ」を読んで
北野唯我著「天才を殺す凡人 職場の人間関係に悩む、すべての人へ」を読みました
北野唯我さんの本を読むのはこれで2冊目です
1冊目は「転職の思考法」です
この本も仕事をしていくうえで、キャリア形成に関して非常に有益な本なので、自分の身の振り方で悩んでいる方におススメです
北野唯我著「このまま今の会社にいていいのか?と一度でも思ったら読む 転職の思考法」を読んで
天才を殺す凡人は 人間関係と才能に特化した本です
人は「天才」「秀才」「凡人」の3つに別けられます。人というのは集団の人であり、個人でもあります
つまり、人は誰もが「天才」「秀才」「凡人」の要素を持っていて、その割合によって手にする武器が変わってくるそうです
天才を羨ましい存在だと思っていましたが、この本を読んで自分が見ている天才は成功した天才であって、世に出る前に殺されていった天才も多くいて、さらに一度世に出た天才は再度殺されることがあるというのは衝撃でした
ただ、世の中の大半が凡人で、凡人である人たちが中心である以上、天才の役割が苦悩するのも致し方ないのかもしれません
なぜ、「天才」「秀才」「凡人」が相容れられないのかは、評価軸が違うからです
天才は「創造性」、秀才は「再現性」、凡人は「共感性」を重視します
そして、この評価軸が相容れられないことが悲劇を招いているのです
天才に降りかかる悲劇は、天才が凡人に共感されたいと思っているところにあります
天才は凡人に理解してもらいたいが、凡人は天才を理解できないがゆえに排斥してしまう
この世の大多数は凡人なので、数の論理で天才は凡人に殺されてしまいます
また、秀才は凡人を妬みと憧れの相反する感情を抱いており、秀才の「再現性」により天才の「創造性」は凡人に「共感」されるようになる
組織を拡大していくためには「秀才」の存在が必要不可欠なのです
そして、現代の日本は天才がヒエラルキーのトップに立つ構図から、秀才がトップに立つ構図に変わってきているそうです
松下幸之助さんや盛田昭夫さんといった「天才」が作った企業を「秀才」が再現性を持って引き継いでいく
その時に、再現性のない「サイエンス」が弱い「天才」は殺されてしまう
「秀才」の中には「天才」を殺すサイレントキラーがいると言います
組織が大きくなると「天才」は「秀才」に殺されてしまう
ジョブズもアップルを一度追い出されていますね
天才の「創造性」が社会を次のフェーズに進めるためのイノベーションを起こすのに、天才のがあまりにもないがしろにされすぎているように思いますが、多数の原理を用いていることと、日本の教育は平均を育てているので、致し方ないところもあります
ただ、「天才」が世の中に出るために必要な要因がまた「凡人」であるというところも面白い考え方だなと
つまり、「凡人」の中に「天才」を見い出す才能がある「共感の神」となる人たちがいて、その人たちの助けによって「天才」は世に出ることができるというものです
どんなに才能があっても、誰かの支えがなければ難しいということです
SNSが流行り、誰もが発信できる時代では、特に「天才を殺す凡人」が顕著になっているような気がします
これまでの狭い世界とは違い、ネットによって「共感の神」が「天才」を見い出す可能性はかなり高いように思えます
つまり、天才を殺そうとする凡人は相変わらず多いけれど、そんな凡人たちを回避して「共感」しサポートしてくれる凡人に出会える天才が多くいる
そんな天才たちは「共感の神」を手にした以上、殺しに来る凡人とは深くかかわらないようになります
つまり、ここに情報の断絶が起こります
自分の感性に合ったものだけを共感していくと、やがてどうなっていくのか
多数の優位性はどんどんと失っていく時代を見つめる上でも「天才を殺す凡人」はオススメです