映画「三度目の殺人」の終わり方は是か非か
土曜プレミアムで是枝監督の「三度目の殺人」を観ました
最後まで観た方は、この映画の終わり方をどう思ったのでしょうか?
私は非常にモヤモヤとした気持ちでした
結局、事実なんて言うものは人の思惑が加わることで変わっていくという、ありきたりな結論なのかどうか……
殺人や死刑という人の死が関わることなので、登場人物にある悲壮感というか真剣さのようなものがある……と勝手に思っていたのですが、三隅(役所広司)は果たして生きようと思っていたのか……三隅には思惑があったのかないのか……
「命は選別されている、理不尽に」
この言葉が、映画の主題でもあるような気がします
『三度目の殺人』予告編 | The Third Murder Trailer
三隅は前科者で2度目の殺人を犯します。このまま判決が下れば死刑が確実だと
この物語の中で、ハッキリとした事実は、殺人が行われたということです
誰が、殺し、どのような動機だったのかは定かではありません
三隅が虚言を織り交ぜているのか、それとも「私は殺していない」という訴えは果たして事実だったのか……
殺された人物は、食品偽装や娘に性的暴行を加えていたのか
被害者の妻である美津江(斉藤由貴)は、保険金目当ての殺人を三隅に依頼したのか
娘の咲江(広瀬すず)は本当に性的暴行の被害者であり、その気持ちを三隅が汲んでの殺人なのか……
咲江の足が悪いのは生まれつきだとされていますが、工場から飛び降りて悪くしたと流布しています
このことを咲江自身に聞いたシーンで、工場から飛び降りたことが事実だと言っています
足が悪くなった原因が、この殺人にどう絡んでいたのかは分かりません
咲江が法廷で事実を言っている人はだれ一人いないと言っていました
咲江の言うことが事実だとしたら、三隅は咲江をかばっての殺人ということになりますし、そもそもとして三隅が殺人を犯したことすら事実ではない可能性もあります
「三度目の殺人」というタイトルは、三隅の死刑を指していると思われます
死刑を殺人というからには、殺す殺されるという関係性が成立しなければなりません
死刑を実行する側される側の話だと考えれば収まりがいいですが、三隅自身が、自身の死を望んでいた場合、殺す側も殺される側も、三隅本人ということになります
その場合は、殺人の犯人が三隅か三隅ではないかは関係ないということになります
この物語の最大の謎は、果たして三隅は生きたかったかどうかです
もし、三隅が「命が理不尽に選別される世の中」に逆らうために、世の中ではなく、自身の意志を持って死を選んだとしたら……
弁護士の重盛(福山雅治)は、咲江を庇うために、「自分は殺していない」というもはや既定路線をあえてはみ出した訴えをしたのではないかと、推測していましたが、三隅からは否定されます
おそらく、この映画は社会的な何かを訴えているのではなく、「命とは何か?」という根源的な問題に対して、作られた作品ではないかと思います
人が死ぬということに対して、死のうと決意した人間に対して、果たして動機が必要なのでしょうか?
ということを、訴えかけられた作品ではないでしょうか?