落合 陽一・清水 高志・上妻 世海著「脱近代宣言」を読んで
落合 陽一・清水 高志・上妻 世海著「脱近代宣言」を読みました
久しぶりに文字を追っていっても内容が知識からはみ出していく本を読みました
この感覚はデジタルネイチャー以来ですね
落合陽一著「デジタルネイチャー」を読んでいたらこの世界もAIだと思えてきた
「脱近代宣言」は3人の対談の書き起こしです
先にハッキリと言っておくと、この3人のそれぞれの話している事柄に対する理解力が高次元すぎて、会話が3つくらい進んでからようやく理解できることが多々あります
この本は哲学書を読んでいる時の感覚に近かったなと
意味をその場その場で追い求めずに、話の展開が続いていく内に理解していくという
分からない状態を分からないままで良しとするという読み方をしないと、僕レベルの知識ではついていけないです
その中でもとても興味深い話が多くあり、自分の世界観を広げてくれる優良な本です
衝撃を受けた内容は
●犬の匂いはインターネット的
●人が知覚できる範囲外から作られていく世界
●物体とホログラフィに差がない
●魔術化された世界とデジタルネイチャー
●イルカのコミュニケーションは事象を事象として伝えている
この全てを説明するととんでもない長さになりますし、そもそも説明できるほどの理解しているとも思えないので、この中で特に衝撃を受けた
●人が知覚できる範囲外から作られていく世界
について説明と感想を書いていきます
例えば光は赤外線から紫外線までの人が見える光(可視光)の中が人間の世界で近代的
可視光を外れた光の情報まで加えて、人が知覚できないところで作られたものを、人が知覚できるところに落とし込んでいくというのが、デジタルネイチャーであり再魔術化された世界です
ディープラーニングで作られたものというのは、すでに人が作られる過程を理論的に説明できないものになっていく
デジタルで作られたものが自然と変わらない状態になる世界
犬の匂いや昆虫が可視光以外の光を使っているといった世界は、人が感じている世界とは全く違う世界であり、人が見ている感じている世界が世界の全てではない
人が世界だと知覚できる範囲というのは自然界からするとめちゃめちゃ狭い範囲なんですよ
自分の五感で感じられている世界はとても狭い世界なんだということを、強烈に意識できたことだけでも、この本を読んだ価値があったなと
人間が感じている世界はとても狭く、その中で人間によって構築された世界なんて不安定で、不完全に決まっているんですよ
人間の世界を未来永劫変わらないと思うのはとても脆弱な想像性の上で成り立つ妄想だなと痛烈に思いました
この本の中で落合陽一さんがリンカーンの「人民の人民による人民のための」という感覚を壊したいと言っていました
この感覚が脱近代なんだろうなと思います
この本をオススメするかといわれると難しいですが、ただ自分の価値観をぶっ壊したい人には強くオススメします
内容はかなり難しいですけどね