読書タイムイズマネー

読書で学んだこと体験したことをブログで綴ります

ガイアの夜明けーzozoの野望を観てピュアとは何かを考えた

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先々週放送された「ガイアの夜明けーZOZOの野望」を見ました

 

内容は、zozosuitが世に販売されるまで「前澤社長」追いかけたドキュメンタリーです

 

番組全体ももちろん面白かったのですが、番組冒頭で「前澤社長の印象について」ZOZO社員の方に聞いているシーンが特に印象に残りました

 

社員の方が「前澤さんは善くも悪くもピュア」だと答えていました

 

ピュアという言葉って、成功者に関わった人たちが成功者を形容する時によく使われる言葉です

 

ピュアという言葉を掘り下げてみることで、成功者のマインドを見つけてみようと思います

 

 

ピュアの代名詞といえば

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ピュアの代名詞といえば子供や動物を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか

 

子供たちがピュアの代名詞なら、ピュアではない代名詞は大人ということになります

 

つまり、ピュアさとは年を取るにつれて失われてしまうということです

 

大人になってもピュアさを失わないで生きている人たちと、ピュアさを忘れてしまって生きている人たちの差とはいったいどこにあるのでしょうか?

 

ピュアとは

まじりけのないさま 純粋 また、けがれがないさま 純潔 

 

ピュアではなくなると「まじりけがあり、不純 また、汚れていて 不潔」になると考えるのは短絡的すぎるでしょうか

 

日本人が使うピュアという言葉には、「夢に向かって真っすぐに進む」という意味が含まれているように思います

 

夢をあきらめて、自分はこれくらいだと見切りをつけて生きていく

 

身分相応な生き方というやつですね

 

一般的に使われている「大人」という言葉のニュアンスには、現実的に生きるという意味が含まれているように思います

 

子供に夢をたずねると、即答します

 

逆に大人に夢をたずねて、即答できる人は少ないです

 

ピュアとは子供のように夢を追いかけている人のことでしょうか?

 

子供と大人の違いとは? 

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ピュアが純粋という意味である以上、夢を持つということ以外にも使われる言葉です

 

では、ピュアの代名詞である子供とピュアではない代名詞である大人の違いはなんでしょうか?

 

ここでいう、子供と大人は年齢的なものではなく、精神的な意味です

 

精神的な意味合いなので、「大人=成熟」と「子供=未熟」とも置き換えられます

 

精神的な成熟とは、自分がしていないことを他者に求めないことだと考えます

 

例えば、自分は人のために何もしていないのに、他者から何かをしてもらいたいと望むこと

 

イマドキの言葉でいえば、「GIVE」をしないで、他人からの「GIVE」を期待する態度

 

「GIVEの精神=利他的」です

 

他者の利益になるような行為を意識すると、巡り巡って自分に返ってくる

 

他者から何かを与えれるためには、まず先に自分から他者に何かを与える

 

利他的な行動することで自分に何かが返ってくるわけです

 

これって、広義的な視点でいえば、利他的な行動も結局は利己的な行動であるわけです

 

利己を求めて利己的な行動をするのではなく、利己を求めて利他的な行動をするわけですね

 

利他的な行動をする時に、リターンを考えて行動していない人も多くいます

 

また、子供と生活していると利他的な精神を兼ね備えていることが分かります

 

動物といった自然も利他的な精神を兼ね備えています

 

人間も自然の一部である以上、利他的な精神は自然と兼ね備えているはずのもので、利他的な精神を忘れている人が不自然なのです

 

利他的であることが精神的に成熟されたものだとしたなら、子供は精神的に成熟しているということであり、未熟な精神は、子供ではなく大人が持っているものとなります

 

純粋さは取り戻すことが可能なもの

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人が自我を持つようになるのが、10歳くらいからだと言われています

 

自我とは、自分の中の最も純粋なものを守るためのものです

 

「建前と本音」は、「自我と純粋なもの」を指すのではないかと

 

自我が強くするということは、自分を守ろうとする心の現れでもあります

 

思春期とは、芽生えた本能と純粋なものとの間に起こる歪みではないかと思います

 

10歳前後で自我が芽生え、その自我に振り回された時を経て、大人になる

 

自我によるフィルターで、子供の頃に抱いていた純粋なものが見えなくなってしまう

 

自我欲が自分の生きる原動となり、いつの間にか純粋ではなくなる

 

自我欲を分かりやすくいえば三大欲求(性欲、食欲、睡眠欲)や、金銭欲や承認欲求などです

 

自我欲を無くせば純粋なものを取り戻せるというわけではありません

 

自我も純粋なものも自分である以上、完全に切り離せて考えられるものではありません

 

深く内省するというのは、自我を研いで磨き、純粋なものへと辿り着くことです

 

自我欲から始まった行動も、深く深く掘っていく内に、自我欲だけでは収まり切れない衝動に出くわします

 

前澤社長は、zozosuitを自分が欲しいから作ったと言っています

 

ただ、前澤社長の場合はzozosuitの素晴らしさをユーザーに届けて喜んでもらいたいという気持ちがあるのではないかと思います

 

その気持ちは、自我欲なのかそれとも純粋なものなのか

 

成功者が持つピュアさとは

 

自分が楽しいと思うもの素晴らしいと思えるものを、他者と共有したいという気持ちを指しているのではないでしょうか

 

子供たちも自分の喜びを内包せずに、共有しようとします

 

親の目を自分に向けたいという気持ちもあるのでしょうが、それ以上に共有する喜びを知っているから、喜びを共有するのだろうと思います

 

そして、自分の純粋なもの(根源的なもの)に素直に従えるから、信念がブレずに突き進めるのかもしれませんね