読書タイムイズマネー

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「子育て」は親もまた育てられているという事実

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世の中のニュースや親の話を聞くと、「子育て」の大変さばかりがクローズアップされているように感じます

 

実際に「子育て」は非常に大変です

 

これまであった自分の時間が極端に減り、生活は子供中心になります

 

朝起きる時間も子供の時間で起きるようになるし、3人の子供がいると寝るまで誰かが自分のそばにいます

 

夜中に突然泣き出して、その都度あやさなくてはならないので、寝ている時間も子供が中心になります

 

自分の時間を大切にする方は、子供ができるとストレスになることも多々あると思います

 

子供を育てるという仕事は、自身の成長につながるものです

 

良いことだけを書くつもりはありませんが、子供を持つことがどうして自分の成長につながるかを書いていきます

 

 

内なる世界の抽象度があがる

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内なる世界というとどこか宗教的で胡散臭いと思われるかもしれません

 

内なる世界では胡散臭く感じるなら、「自分の世界」と置き換えると分かりやすいですね

 

世の中は自分の世界と他人の世界に分かれています

 

自分が見ている世界、自分が感じている世界を完全に他者と共有することはできません

 

自分が見ている世界は自分しか見られないのですから

 

つまり、自分が見ている世界が、その人にとっての世界であって、誰かと同じモノを見ていたとしても、全く捉え方が違う可能性があります

 

その場合、同じモノを共有していたとしても、それぞれの世界で見ているということになります

 

宗教の違いや人種の違いによっても世界は変わってきますし、同じ日本人だとしても住んでいる地域によって世界は変わります

 

隣に住んでいる人とだって違う世界を生きていますし、家族だとしても違う世界を生きています

 

そういう意味では人は皆、孤独なのです

 

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コミュニケーションとしては共通の話題を見つけられたら仲良くなれますし、相手の事を思いやる気持ちがあれば円滑になります

 

それでも、自分の世界の住人が「自分のみ」だったとしたら、内なる世界を共有できる人はいないことになってしまいます

 

そうすると、「自分」と「他人の世界」はいつまで経っても隔たりがあり、共有されることはありません

 

では、どうするかというと自分の世界を抽象化して広げていくしかありません

 

自分の世界が全人類になれば、全人類が自分事となります

 

世界平和を心から望むこととは、つまり自分の世界を全人類まで抽象化して高め、自分の平和=全人類の平和とすることです

 

……もちろん、これはとんでもなく難しいことであり、誰もができることではありません

 

子供は自力で生きていくことはできません

 

子供は生活すべてで誰かを頼っていることになります

 

本来的には、生活すべてを誰かに頼るというのは、子供だけでなく大人になっても変わらりません

 

大人になれば自分でできることが、子供よりも多くなるというだけです

 

大人と子供の違いって、自分でできることが多いか少ないか、ただそれだけなんだと思います

 

子供たちは自分の世界に家族がいるのが当たり前です

 

もちろん、自分のやりたいことができないと泣きじゃくりますし、やりたくないことは頑なに拒否します

 

逆にやりたいことはとことんまでやります

 

それでも、子供たちは自分の時間ということを考えていません

 

大人のように自分の時間を持ちたいと考えたりはしません

 

子供にとって自分の世界=全世界なのです

 

もちろん、大人の方が子供よりもこの世の中のことを多く知っていますが、それだからと言って、「自分の世界=個人」になってしまう道理はありません

 

心の抽象度でいえば、子供の方が圧倒的に高いのです

 

つまり自己の成長という観点でいうと、子供の方が大人よりも成長度が高いともいえます

 

なぜ子供の方が成長度が高いのか?

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人は生きているうちに我慢するということを覚えます

 

我慢することで物事が円滑に進むことを覚えてしまったからです

 

ただ、我慢せずに自分のやりたい事を貫き通す人たちもいます

 

その人たちにとっては、我慢をして自分を押し殺すことに何らのメリットも感じていません

 

子供たちも同様です

 

子供たちも自分を押し殺すことにメリットを感じていないからこそ、自己を押し通そうとするのです

 

もし、自己を押し通さずに親の言うことを素直に聞く子がいるとしたら、それは自己を押し通さないことにメリットを感じているからです

 

そのメリットは親の機嫌ということになるのではないでしょうか?

 

子供に対して怒ったり時には暴力を振るうような親の元では、子供は自己を押し殺すことにメリットがあります

 

そうして我慢を覚えて、他人の機嫌が自分の世界の在り方になってしまっては、その子は自分の人生を生きることが非常に難しくなってしまいます

 

都合のいい人になってしまいます

 

これは極端な例ですが、多くの人は長いスパンをかけて上記のような過程を通って来たのではないでしょうか?

 

もちろん我慢強さが足りずにすぐに癇癪を起してしまう、自制心のない人はまた違った意味で、自分の世界を歪めています

 

こういう人たちはまさしく自分の世界=自分になっています

 

こちらも親が放任主義という考えを間違えてしまったのだと思います

 

子供に負荷を与えないように、好きなものだけを与えて、好きなように振舞わせた結果なのだと思います

 

子供に多少の負荷をかけることは必要だと思っています

 

なぜなら、その負荷を感じて乗り越えることで、人は自立するということを覚えるからです

 

この世の人生においての道しるべとなることを与えてあげることが、親の使命ではないでしょうか?

 

また、子供の心の抽象度を下げないで上げることも親の使命です

 

このバランスが非常に難しいです

 

バランスのとれた子育てをするには?

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バランスのとれた子育てをするために必要なことはズバリ親が「成長」することです

 

大人である自分の方が優れているなんていう考え方を、もし持っていたらまず捨てること

 

先にも言いましたが、生き方として非常にシンプルなのは子供の方です

 

シンプルであるということはそれだけ抽象度が高いということ

 

頭で考えすぎてしまい身動きがとれないのは大人です

 

親になる利点は、自分の子供から本来の生き方を学ぶことできることです

 

親の生き方が正しい間違っているではなく、本来的な生き方とは何かを子供から学び、自分の人生に受け入れる

 

親になった方がまず身につけるべき姿勢は「学ぶ」という姿勢です

 

「学ぶ」という行為は、子供だけでなく様々なことから学べます

 

本を読むことも、だれかの話を聞きに行くことも「学び」です

 

自分の人生を振り返り内省することも「学び」に繋がります

 

子供がシンプルに出来ることを、大人になるにつれて自ら複雑にしてしまっているのですから、複雑化してしまったことをシンプルにする

 

シンプルにするということはつまり抽象度を高めるということ

 

子供を授かるということは「シンプルに生きる」ということ直接的に学べるチャンスです

 

そして、子供を自分の世界に加えることができたなら、自分の世界の抽象度が高くなります

 

「子育て」は子供のために何かをするということですし、「子育て」は24時間行われていることです

 

つまり、「子育て」とは自分の世界で人と生きることを学んでいるのです

 

子供を育てることは非常に大変ですし、時にはすべてを投げ出してなることがあります

 

何度も挫折を味わいながら、何度も立ち向かっていく

 

これってつまり、親が子供に教えられる生き方そのものだと思いませんか?

 

「子育て」をするということはそのまま子供に教える「人生をいかに生きるか」を実践していることになるのです

 

うん、やはり「子育て」は素晴らしい

 

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