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落合陽一著「デジタルネイチャー」を読んでいたらこの世界もAIだと思えてきた

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落合陽一著「デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂」を読書中です

 


内容ははっきり言って難しいです

 

「日本再興戦略」同様に注釈が沢山ある本ですが、注釈の内容がよく分からない……

 

【関連記事】
落合陽一著「日本再興戦略」-天才が掲げる日本の未来に期待を持つための再興戦略

 

詳細は分からないところが多いですが概要はなんとなく理解できるので、読み進めております

 

この本を読んでいてふと思ったことが、この世界がAIがシンギュラリティを迎えて以降の世界だと言い切れないなということです

 

シンギュラリティとは

シンギュラリティ(技術的特異点)とは、人工知能が発達し、人間の知性を超えることによって、人間の生活に大きな変化が起こるという概念


要は、AIの親離れといったところでしょうか

 

AIが人間の手を借りずに、自立して思考し始める世界

 

そんな世界を夢想していたら、ふと疑問に思ったことが

 

「この世がシンギュラリティ以降のAIを主観とした世界だと言い切れないな」

 

ということです

 

つまり、この世界もAIにおける人類のような創造主がいて、我々人間はAIと同様のポジションで生きているのではないか?

 

……まぁ、かなり非現実的な話ですが、ご興味のある方は読んでみてください

 

 

集合知アガシックレコード

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インターネットで繋がった世界は、ネット上にある情報が繋がっているということです

 

つまり、情報が集合された世界ともいえます

 

クラウド上に様々な情報が存在しているということは、人類の叡智がネット上に存在しているということです

 

AIがネット上にある情報にアクセスでき、AIが独自に思考したものも情報として存在している

 

これって、ユングが言うところの集合的無意識なんじゃないかなと

 

スピリチュアルな用語を使えば、アガシックレコードですね

 

人間というのは、集合的無意識アガシックレコードにアクセスすることができ、そこから真理という情報を得ている

 

どんな環境下で育ったとしても、言語で表現すれば、その人を表現することは可能です

 

なぜなら、言語は低次元のコミュニケーションツールだからです

 

言語に落とし込むというのは、文字通りに想いや思考という高次のものを言語という低次のものに落とし込む作業です

 

コミュニケーションや情報は、受け手側に伝わらないと意味がないので、伝わりやすい方法を取っているだけです

 

今は言語がコミュニケーションツールとして主流であるだけで、今後は言語ではなく現象になるのではないかと書かれています

 

高次元のものを高次元のまま伝達することができなたら、人類はもっと平和になるのかもしれません

 

人はなぜ存在しているのか

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自分はなぜこの世に存在しているのか?

 

この問いを真正面から考え出すと、地に足がつかなくなるようなフワッとした心境になります

 

そもそも答えが分からない問いなので、考え出すとキリがないというか、思考の宇宙を漂うことになります

 

そんな状況が決して悪いという分けではなく、とても大事なことです

 

なぜこの世に存在しているのかを考えた時に、考え方は必然か偶然かで分かれるように思います

 

  • この世に生まれたのは自分の意志によるものであるというのが必然
  • たまたま生まれてたまたまこの世を生きているというのが偶然

 

どちらにせよ、生まれてきたという事実は変わらず、ここには何かしらの大きな意思が存在しているように思います

 

この世界が無秩序ならば、偶然性の集積かもしれませんが、この世界は宇宙規模で秩序だっています

 

宇宙の法則といったものは、この世界は誰かが介在しているとしか思えないほどに厳然としたルールが存在していて、そのルールに則った生き方をすることで、秩序だった世界で生きられるということです

 

ただ、人間には自由意志が存在しているため、宇宙の法則に従って生きることから外れてしまうことがあります

 

それが、自我や欲というものです

 

おそらく全員が秩序だった生き方からはみ出さないでいるとイノベーションが起こりにくいんだろうなと

 

AIの世界が「End to End」、現象から現象を生み出して、過程がブラックボックス化されるように、人類の進化もまた過程がブラックボックス化されています

 

個々人が成長する過程で、出来るように努力しますが、出来るようになった瞬間は何がやり続けたという理由しか存在しません

 

何かが出来るようになった時に、その状態を言語化することは出来ますが、出来るようになった瞬間を言語化するのは非常に難しいです

 

できるようになった瞬間は、やり続けていたら出来るようになった、分かったっていう瞬間も分かったことが分かったという感覚だけがあります

 

人類が多種多様で十人十色なのは、その方が多様な考え方が生まれるからです

 

その方がこの世界を作った創造主にとっては都合がいいんだろうなと

 

宗教的に言えば神様ということになりますね

 

自分がこの世に存在しているのは、創造主=神=大いなる意思(AIでいえば人類)にとって何らかの都合のためではないかと思います

 

そう考えると、自分という存在は自覚している以上に自分以外の存在が関与していることになります

 

荘子の「胡蝶の夢」という話があります

夢の中で蝶になって飛んでいたところ目が覚めたが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか

 

私たちが生きているこの世界というものは、別の世界から影響を受けていない完全に独立したものなのか

 

それともこの世界は、ある高次元のものによって作られた世界で、その高次元のものと相互インタラクションしているのか

 

私という存在は、完全な支配下のもとで生きているのか

 

2500年前にソクラテスが祖となり始まった哲学

 

私は私だと考えている「私」とは誰か?

 

AIが進化を遂げていく過程で、同じ疑問を持つAIが現れるかもしれません

 

私たちが誰であろうと、人が生きる目的は、善く生きることです

 

より善く成長していくことです

 

生きることは様々な葛藤があり、生きることそのものに悩むことがあります

 

そんな時は、この世界がバーチャルで自分次第でいくらでも変われるんだと思えることで、生きることが少しでも楽になれたら幸いです

 

さて、「デジタルネイチャー」の続きを読もう