大人の発達障害というけどそもそも大人の定義とは?
人はこの世に生まれ、幼児→子供→青年→中年→老年と年を取ります
大人の発達障害やADHDが話題となりましたが、子供と大人を分ける境界線はどこにあるのでしょうか?
そもそも大人になる定義とは何でしょうか?
大人を辞書で引くと以下のように書かれています
十分に成長した人。成人。 考え方や態度が十分に成熟していること。思慮分別があること。 一般に「子供(こども)」という表現と対比されている。
例えば平均寿命が50歳だった場合、人生の折り返し地点は25歳になります
現代の平均寿命は80歳だとすると、折り返し地点は40歳
平均寿命が100歳になれば、折り返し地点は50歳……
50歳まで生きてようやく折り返し地点となった時代、20歳は十分に成長した人と定義づけられるのか疑問です
そもそも大人の定義とはなんでしょうか?
大人ということを考えていくことで、少しでも楽に生きて行けるようになってもらえたらと思います
30歳までは勉強の時期
苫米地英人著『40歳から「差がつく」生き方』の中で、30代までは勉強の時期と書かれています
60代でも子ども扱いされる世界がある
人生の本番は40歳から
そのために、30歳までは勉強をするべきだと
実際に30代を迎えて思ったことは、勉強すべきことは年を取ってからの方があるということです
学生時代は、決められたところへ行き、決められた勉強をすればよかったのですが、社会人になってからは、決められた勉強はありません
勉強する内容も自分で決めていきます
いわゆる大人の年齢になっても、勉強することは山のようにあります
大人は勉強しなくていいからズルい。という子供時代の考えは全くの妄想で、大きくなっても勉強しないと思考停止になり、思うような人生を歩めなくなります
結局、年をとっても学生時代となんら変わらず勉強する人は勉強し、勉強しない人は勉強しません
学ぶという姿勢は年齢に関係なく個々によって異なります
大半を過ごす場所が変わっただけで、やることは変わっていません
学生や社会人、年齢で大人を定義づけることは無理があります
【参考資料】
苫米地英人著『40歳から「差がつく」生き方』
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大人げない大人になる意義
マイクロソフト日本法人元社長 成毛眞氏は「大人げない大人になれ」という本を書かれています
マイクロソフトが現代のような超一流企業に育つ前は、大人げない大人の宝庫だったと言います
子供のように物事に夢中になる生き方をする人の方が、大きなことを成し遂げやすい
本の中でも出てきますが、堀江貴文氏も同じようなことを言っています
社会に出ても子供のように好きなことに夢中になって、独自のこだわりを持つ。感情豊かに周囲の人たちが驚くようなことをする人たち
ビルゲイツのエピソードがたくさん載っていて、どれも本当に大人げないです
- 口の周りをケッチャプだらけのまま、廊下で寝ている
- 周囲が厳重警戒しているのに、ハンバーガーを並んで買いたかったという理由でホテルから抜け出す
- もの凄くキレる
成毛さんもそんなビルゲイツの元で日本法人の社長になったほどの人物なので、大人げないエピソードがたくさんあります
ファイナルファンタジーのソーシャルゲームにハマり、会社に行かずに2年間で6000時間プレイしたというのが、この本の中で最も大人げないエピソードだなと笑いました
マイクロソフト社長を辞めた理由も、企業が大きくなり普通の企業になってしまったからだそうです
ホリエモンチャンネルに出演された時は、飽きたからと言っていました
マイクロソフトの社長という地位まで昇りつめたのにアッサリと辞めてしまうというのは、にわかに信じ難いですが、地位を守るや役職にしがみつくという行為は大人げない人間には相応しくありません
大人げない大人をザックリと説明すると
- 子供のように純粋に好きなものを追い求めつづけること
- 我慢しないこと(ストレスフリー)
ということかなと思います
ということは、大人らしい大人とは
- 子供とは違い純粋ではなく好きなことを放棄しつづけること
- 我慢すること(ストレス)
確かに世間一般の大人のイメージに、辛い仕事でも我慢してやる
耐え忍ぶことが大人の生き方
大人げない大人が大成功をおさめて、大人らしい大人は耐え忍んで日々を過ごしている
これでは、子供が大人になりたくないと思ってしまうのは仕方ないとことです
ここで考えるべきは、いったい誰から耐え忍ぶことが大人だと教わったのかということです
自分自身が思っている大人の定義とは誰から教わったのでしょうか?
生活のためだとやりたくもない仕事をして、グチを言いながらお酒を飲んで、家に帰って寝るだけ……
子供は自由でいいよなと言いながら、毎日を繰り返し生きていく
そんな人生を誰が選択したのでしょうか?
そんな大人を誰が思い描き、疑いもせずに生きているのでしょうか?
自分の人生を生きるということ
日本の哲学者「池田晶子」さんは、哲学を学びたい人にオススメの哲学者です
哲学を学ぶハードルの高さは、書かれている内容が難解だということです
哲学の定義は、万人に共通する内容であること
したがって最大限に抽象化された内容だからです
つまり、具体的でない内容が書かれているため、想像しにくい…
その点、池田晶子さんの哲学感は非常に分かりやすい言葉で書かれています
なぜなら、人生に沿った哲学が書かれているからです
「絶望を生きる哲学」という本は、池田晶子さんがこれまでに出版された本の中から、テーマに合った内容でまとめられています
池田晶子哲学を知りたいという方は、ぜひ読んでみてください
人生について深く考えさせられます
【参考資料】
池田晶子著「絶望を生きる哲学」
この本の中で繰り返し言われていることは
- 正しい言葉を使って思考しなければならない
- 全てを自分で受け持てば自由になれる
- 本当の自由を生きる意味
人は1人で生きられる人はいません
人は人と関わり生きていくものです。その中で様々な出来事が起こります
アドラーは人の悩みはすべて人間関係にあると言っています
【関連記事】
アドラー著『嫌われる勇気』は日本人が受け入れやすい心理学 その1
今の人生を選んだのは、大人であるという定義を決めたのは、自分自身に他なりません
自由であることを放棄したのも、子供のような純粋さを無くしたのも
大衆という大きな流れに従ったのも、人生とはこんなものだと諦めたのも
全て自分です
大人であるということは、自分で考えて、成長して、生きることです
そこに美学や哲学を見出すことです
思考停止や諦めることが大人になることではありません
それは人として生きることを放棄する行為です
生き方を放棄した時点で、大人の定義などあるはずがありません
大人は耐え忍ぶものだという認識は、自分自身への言い訳です
学ぶことを放棄せずに一生懸命学び、自分の好きなことを諦めず子供のようにやり続け、正しい言葉で考えて自由を見出すこと
そうして成長していく過程で大人になるのです
大人という定義に正解も決められたものもなく、答えは自分自身で見つけるもの
そのための人生なのかもしれませんね